LOGIN「違うな」
龍翔は椅子から動かなかった。雪蓉が差し出しかけた手は、机の手前で止まった。 「俺を救ったのは、あの娘だ。お前の祈りではない」 雪蓉の頬から笑みが消えた。 「ですが、あの者に、そのような力があるはず……」 言いかけて口を閉じる。龍翔は顔を上げた。 「従姉だと言ったな。あの娘が薬を調えるところを、お前は見たのか?」 「わたくしは、神殿から聞かされただけでございます」 返事だけが、先ほどより速かった。 龍翔は机の紙を引き寄せた。聖女の証言と呼ばれていたものが、本人の見たことなのか。それさえ、最初の報告には記されていない。 「ならば、見た者から聞く。昨夜の香も、処刑を伏せた報告もな。下がれ」 雪蓉は一礼して退いた。扉が閉じるまで足音は静かだったが、廊下の角を曲がると、付き従う神官の袖を引き寄せた。 「陛下が誰から何をお聞きになったか、調べて。看守に会えないなら、記録を運んだ者に訊きなさい」 「ですが、聖女様……」 「早く」 神官を行かせてから、雪蓉は白い袖を直した。雨蘭が逃げたと聞いた時には、遠からず捕まると思っていた。今は皇帝が、あの娘の言葉を聞こうとしている。 寝所へ戻った龍翔は、昨夜と同じ外套を手に取った。内侍が別のものを差し出したが、首を振る。腕に掛けてしまうと、雨蘭が握っていた皺は見えなくなった。彼は一度それを広げ、それから自分で畳み直した。◇
数週間後。紫苑帝国の北の外れ。
雪が舞い散る寒村の小さな小屋で、雨蘭は薬草を刻んでいた。 素性を隠し、偽名を使ってこの村の診療所を手伝いながら、なんとか日々の糧を得ている。 トントン、と小気味よい音を立てていた包丁が、ふいに止まった。 「……っ」 胃の底から、突き上げるような強い吐き気。 雨蘭は口元を両手で覆い、慌てて小屋の外へ飛び出した。 冷たい雪の上に手をつき、何度もえずく。胃液だけが吐き出され、雪を黄色く染めた。 息を整えようとしても、胃の奥がまたせり上がる。雨蘭は雪に片手をついた。 ただの風邪ではない。数日前から続く微熱と、この異常な吐き気。 それに……。 雨蘭は周囲に誰もいないことを確認し、震える手で着物の帯を緩めた。 白い下腹部。そこには、数日前にはなかったはずの、黒い小さな紋章が浮かび上がっていた。 龍の形をした、見覚えのない印。 チリッ、と腹部の奥底から熱い脈動が伝わり、廃宮で触れた男の気を思い出した。名も素性も、何一つ聞かないまま別れた人。 今も、あの人の名を呼ぶことさえできない。思い返すたびに、名前を聞いておけばよかったと思う。眠る前、ふと目を閉じると、額の近くで聞いた低い声が蘇る。抱き寄せられた時より、離れるのを待ってくれた時の方が、なぜか鮮やかだった。 雨蘭は雪の上に座り込んだまま、そっと腹へ手を戻した。 薬師である彼女には、自分の身体に何が起きているのか、もう否定しようがなかった。 自らの右手で、左手首の脈を取る。 滑らかで玉を転がすような、独特の脈動。妊娠を考える手掛かりとなる、滑脈(かつみゃく)だった。 間違いない。私のお腹の中には、あの人の子が――。◇
「脈が走っとるな」
村の小さな診療所。囲炉裏の火がパチパチと爆ぜる音だけが響く中、老医師の杜謙徳(と・けんとく)が、雨蘭の手首から指を離した。 白髪交じりの眉をひそめ、鋭い眼光で雨蘭を射抜く。 「ただの妊娠じゃねえ。お前の腹の中の気、凄まじい勢いで親の命を喰い荒らしてやがる。……父親は、人ではないのか」 雨蘭は思わず肩をすくめた。 この老医師は、神も皇帝も信じない徹底した臨床家だ。雨蘭の薬師としての知識を最初に対等に評価してくれた人物でもある。 ごまかしは通用しない。 雨蘭は静かに下を向き、帯の上にそっと手を添えた。 「……分かりません。でも、あの人の気も、普通の人とは違いました」北境の診療所で子どもが助かったという報せは、数日かけて皇都へ届いた。 雨蘭が渡した薬包を、父親は村の役人にも見せた。熱を出した子を救った素性の知れない娘のことが、雪の街道を行き来する薬材商の耳に入り、やがて影の者がその話を拾ったのだった。「薬師の女は、村で『蘭』と呼ばれております」 玄刃が差し出した報告を、龍翔は黙って読んだ。「流れてきたばかりの女で、身寄りはないそうです。腕は確かです。高熱の子の呼吸が止まりかけた時も、落ち着いて手当てを続けたと」 龍翔は紙を持ち直した。蘭。それだけでは同じ名の女かもしれない。北境では移り住んだ者が素性を隠すことも珍しくなかった。「他には」「診療所で使った薬包を一つ、手に入れました」 玄刃が机へ置いたのは、使い終えた薄い紙の包みだった。薬草の粉が折り目に残り、ほどいて結び直された紐の先には、角が二つ、鶴の羽のように立っていた。 龍翔は、それに見覚えがあった。 故郷の村が焼かれるより前、地方を視察した折、森の外れで負傷兵に薬を渡していた娘がいた。龍翔は馬上から見かけただけで、声は掛けなかった。兵が差し出した薬包には、この折り方がされていた。 あの娘が雨蘭だったかどうか、今となっては確かめようがない。だが、廃宮で脈を診てくれた雨蘭の手と、薬草の匂いが一緒によみがえった。「似ているな」 玄刃は頷いた。「ほかの商隊の証言とも合います。娘は薬の配合と分量を誤らず、客の体調を見てから売ったと。神殿の帳面に残る李雨蘭の調薬歴とも矛盾しません」「まだ本人とは限らん。村を騒がせるな」 龍翔は報告の余白へ目を落とした。神殿の使者が北の関所へ出向いたという記録もある。処刑を止めた勅命を知らぬはずはない者たちが、なぜ北へ向かうのか。もし雨蘭を見つけたとしても、その名を大声で呼んだ瞬間、敵へ居所を教えることになる。探すことと守ることは同じではない。龍翔はようやく、その違いを考えるようになっていた。 龍翔は薬包を手に取った。折り目には何度も指で押さえた跡がある。冷たい牢で震えていた手が、今はどこかの子どものためにこれを結んでいたのかもしれない。
雨蘭は男の子が横向きの姿勢を保てるよう支え、顔色を確かめた。喉が小さく鳴っている。完全に息が止まったわけではない。唾と痰が、弱い呼吸を塞いでいるのかもしれなかった。雨蘭は濡れた布を替え、口元を塞いでいたものを拭った。「灯りを。お父さん、こちらで顔を照らしてください」 泣きそうな父親の手で、灯が何度も揺れた。雨蘭は顔を近づけ、子の鼻先にかすかな空気の動きを感じ取った。胸へ耳を寄せる。苦しげな音が一つして、次に細い息が続いた。 次の呼吸が来るまでが、ひどく長かった。雨蘭は胸の上下を見つめた。ようやくもう一度、細い息が入り、吐き出された。「……戻りました。まだ、気を抜かないで」 父親が何か言おうとして、声を出せずに頷く。雨蘭は脈を取り直した。熱のために脈が乱れている。龍紋から上がる自分の熱に気を取られそうになり、指に力を込めた。 子の呼吸が落ち着くまで、雨蘭は寝台を離れなかった。痙攣が収まり、呼びかけに薄く瞼が動くようになってから、少量の湯で唇を湿らせる。喉が自分で動くのを確かめ、慎重に薬湯を口に含ませた。「……おかあ、さん」 消え入りそうな声だった。それでも父親は、その一言に顔を覆った。 雨蘭はほっとした。男の子の手はまだ熱い。今夜も目を離せないが、ようやく次の手当てを考えられる。 残りの薬草を紙で包む。角が二つ立つ独特の結び方は、養母に教わったものだった。袋を結びながら、雨蘭は父親に熱を確かめる際の注意と、息がまた苦しくなった時の知らせ方を伝えた。「杜先生が戻ったら、もう一度診てもらいます。今晩はここで休ませましょう。呼びかけても目を開けない時や、また息が苦しそうな時は、すぐ知らせてください」 父親は戸口へ目を向けたが、すぐに息子の枕元へ腰を下ろした。「家へ知らせる者を頼めるか。今夜はここで番をする」。雨蘭が頷くと、村の女が外套を取り上げ、表へ出ていった。薄い毛布の下で呼吸が乱れないのをもう一度確かめ、雨蘭は薬棚へ片手をついた。 杜が戻れば、子の胸の音をもう一度聞いてもらえる。今夜を越えるまでは気を抜けない。雨蘭は父親に交代で休むよう勧めたが、自分の声
北境の朝、井戸の縁には薄い氷が張っていた。 雨蘭は汲んだ水を桶に移し、しゃがんだまましばらく動けなかった。胃の奥がせり上がり、喉に苦いものが戻ってくる。吐き気が収まるのを待ってから、もう一度、自分の手首へ指を当てた。 脈は速い。腹の龍紋には、火にあぶられたような熱が残っている。 ――お前が死ねば、その子は母親を失う。 杜謙徳の言葉が耳に残っていた。分かっている。だから今日は、力仕事を控え、調薬だけを手伝うつもりでいた。 診療所へ入ると、囲炉裏の傍に座っていた村の女が、雨蘭の顔を見て眉を寄せた。「蘭先生、少し痩せたんじゃないかい」「寒さに慣れなくて。でも、薬の支度はできます」「うちのせがれなんか、嫁さんが来りゃ毎日温かい飯を作るって言ってるよ」 からかう声に、雨蘭は笑いかけて手を止めた。嫁。その一語が、廃宮の夜に触れた男の手を思い出させた。名前も聞かなかった。そのくせ、あの手にもう一度触れたいと思う時がある。 子の父親だから会いたいのだ、と片づけることはできなかった。あの夜、頬へ触れた手を思い出すたび、知らないままにした名が気になった。次に会えたら、まず名前を尋ねよう。雨蘭は傷んだ薬草の葉を除き、手元の仕事へ戻った。「……お薬を包みますね」 そう声をかけ、雨蘭は薬包の紙を広げた。乾いた葉を量り、折り目を揃えて置く。 残った葉の厚みを指で確かめ、まだ湿り気のあるものを脇へ分ける。細い根を薬研へ移そうとした、その時だった。 戸が外から叩きつけられた。「先生! お願いだ、息子を!」 雪まみれの男が、幼い子を抱いて転がり込んできた。四つほどの男の子だった。首は力なく垂れ、唇の色が悪い。抱き直された拍子に、小さな腕が硬く突っ張った。「急に熱が上がって、身体が震えて……名前を呼んでも返事をしないんだ!」 雨蘭は薬研を置き、男の腕の中へ手を伸ばした。「こちらへ。頭をぶつけないように、寝かせてください」 杜は隣村へ往診に出ている。診療所にいる薬師は雨蘭だけだった。 昨日までの雨蘭なら、考えるより先に駆け寄っていた。だが自分が倒れれば、この子を診る者もいなくなる。腹の子を守りながら、目の前の命も救いたい。雨蘭は壁に手をつき、短く息を吐いてから寝台へ向かった。できることを一つずつ確かめよう。 胸へ耳を寄せる。鼓動は速いが、呼吸がひどく浅い。
「その腹の紋様、見せなくてもわかるぞ。龍気だ。お前さん、とんでもないものを抱え込んだな」 杜はため息をつき、煙管に火をつけた。細い煙が囲炉裏の上へ立ちのぼった。「このままじゃ、お前が干からびて死ぬぞ。子が親の生命力を削って育つ。普通の人間には耐えられねえ代物だ」 死。その言葉に、雨蘭の指が冷たくなった。牢の扉が開く音を思い出し、息を呑む。逃げ延びたのに、また死ぬと言われるのか。 腹へ当てた手を離せなかった。まだ、子を抱いた自分の姿さえ思い浮かばない。それでも、ここに宿った小さな熱まで消えてしまうことには耐えられなかった。 自分がすべて引き受ければ、この子だけは助かるのだろうか。けれど、それでは何のために逃げてきたのか。雨蘭はその考えを、まだ振り払えずにいた。「それでも」 雨蘭は顔を上げ、杜の目をまっすぐに見返した。 言葉を継ごうとすると唇が震えた。雨蘭は腹に置いた手へ、もう一方の手を重ねた。「それでも、産みたいんです。私の命と引き換えになっても」 ガンッ。 杜が煙管を囲炉裏の縁に叩きつけた。「馬鹿野郎」 低い怒鳴り声に、雨蘭は目を見開く。「腹の子を守りたい? 勝手にしろ。ただしな、お前が死ねばその子は母親を失うんだ。それも計算に入れろ」 雨蘭は返す言葉を失った。「自己犠牲なんて安っぽい真似をするな。子を守るなら、お前自身も生き残る算段を立てろ。薬師なら、自分の命もちゃんと数えやがれ」 杜は煙管を伏せ、雨蘭の返事を待った。 雨蘭は腹部に当てた手に力を込めた。服の上からでも、自分とは違うもう一つの小さな熱の塊を感じる。 生きる。この子と一緒に、何としても。 その決意の奥に、もう一つだけ、誰にも言えない望みが残っていた。あの人に会って、あの夜のことをどう思っているのか聞いてみたい。今も覚えていてくれるのか。それを知るためにも、生きていなければならない。◇ 同時刻、皇宮の奥深く。 皇帝の執務室は、重苦しい沈黙に包まれていた。 皇帝直属の密偵「影」の隊長、陸玄刃は束ねた書状を机へ置いた。 再審の供述書を読んでいた龍翔が筆を置き、黄金の瞳をすっと細めた。「……見つけたか」「まだ所在までは。ただ、北へ抜けた手掛かりが」 玄刃は書状の一枚を広げた。「北へ向かう商隊の記録を洗いました。冷えを避ける処方に使う薬材を、薬師らしい
「違うな」 龍翔は椅子から動かなかった。雪蓉が差し出しかけた手は、机の手前で止まった。「俺を救ったのは、あの娘だ。お前の祈りではない」 雪蓉の頬から笑みが消えた。「ですが、あの者に、そのような力があるはず……」 言いかけて口を閉じる。龍翔は顔を上げた。「従姉だと言ったな。あの娘が薬を調えるところを、お前は見たのか?」「わたくしは、神殿から聞かされただけでございます」 返事だけが、先ほどより速かった。 龍翔は机の紙を引き寄せた。聖女の証言と呼ばれていたものが、本人の見たことなのか。それさえ、最初の報告には記されていない。「ならば、見た者から聞く。昨夜の香も、処刑を伏せた報告もな。下がれ」 雪蓉は一礼して退いた。扉が閉じるまで足音は静かだったが、廊下の角を曲がると、付き従う神官の袖を引き寄せた。「陛下が誰から何をお聞きになったか、調べて。看守に会えないなら、記録を運んだ者に訊きなさい」「ですが、聖女様……」「早く」 神官を行かせてから、雪蓉は白い袖を直した。雨蘭が逃げたと聞いた時には、遠からず捕まると思っていた。今は皇帝が、あの娘の言葉を聞こうとしている。 寝所へ戻った龍翔は、昨夜と同じ外套を手に取った。内侍が別のものを差し出したが、首を振る。腕に掛けてしまうと、雨蘭が握っていた皺は見えなくなった。彼は一度それを広げ、それから自分で畳み直した。◇ 数週間後。紫苑帝国の北の外れ。 雪が舞い散る寒村の小さな小屋で、雨蘭は薬草を刻んでいた。 素性を隠し、偽名を使ってこの村の診療所を手伝いながら、なんとか日々の糧を得ている。 トントン、と小気味よい音を立てていた包丁が、ふいに止まった。「……っ」 胃の底から、突き上げるような強い吐き気。 雨蘭は口元を両手で覆い、慌てて小屋の外へ飛び出した。 冷たい雪の上に手をつき、何度もえずく。胃液だけが吐き出され、雪を黄色く染めた。 息を整えようとしても、胃の奥がまたせり上がる。雨蘭は雪に片手をついた。 ただの風邪ではない。数日前から続く微熱と、この異常な吐き気。 それに……。 雨蘭は周囲に誰もいないことを確認し、震える手で着物の帯を緩めた。 白い下腹部。そこには、数日前にはなかったはずの、黒い小さな紋章が浮かび上がっていた。 龍の形をした、見覚えのない印。 チリッ、と腹部の奥
廊下から慌ただしい足音が響き、初老の男が血相を変えて転がり込んでくる。内侍長、羅季康(ら・きこう)だった。皇帝の身辺を世話する者たちを束ね、幼い頃から龍翔に仕えている。「ご無事でしたか……! 今朝、神殿の看守が娘を引き取りに参りまして、外門で、影の隊長・陸玄刃(りく・げんじん)が止めております」 羅季康は、看守から取り上げた執行状を差し出した。神殿の印の下に、今朝の処刑を命じる文言があった。「聖女毒殺未遂の罪で、すでに神殿が死刑を言い渡していたと……。陛下への報告には、取調べ中としかございませんでした」「裁きは、もう下っていたのか。俺に伏せたまま、今朝、殺すつもりだったのか」 龍翔は、昨夜消えた香の匂いを思い出した。「香炉は確保させたな。灰まで残せ。鎮める香の匂いではなかった」 羅季康の顔が強張った。「看守と、香を用意した者を別々に拘束しろ。処刑の執行と追捕は停止する。娘の事件は再審だ。出入帳に加え、供述と調薬記録を押さえろ」「御意。ただ、神殿の判決そのものを取り消すには、審判の原本を揃え、廷議に掛けねばなりません」「その間に殺させぬための命令だ。看守から押さえた執行状を確かめろ」 羅季康は、龍翔が手にした執行状の処刑対象者欄を指した。「李雨蘭(り・うらん)でございます。神殿からの報告書にも、その名が記されております」 龍翔は、執行状に記された名へ目を落とした。「李雨蘭……。停止命令とともに各関所へ回せ。見つけても、追い立てるな」 取り調べの名目で神殿から移し、自分が呼ぶまで誰も入れるなと命じた。それだけで守れたつもりでいた。見張りは表の回廊から人を通さぬよう命じられ、古い建物の裏手まで改めていない。娘は、その隙を探すほど、夜明けを恐れていたのだ。昨夜、彼女が扉を見るたびに肩を強張らせた理由を、ようやく思い知った。龍翔は開いた扉を見つめた。「近衛を――」 そこまで口にして、龍翔は止めた。軍で街道を塞げば、死を逃れようとした娘を再び追い詰める。 今すぐ連れ戻したい。その焦りを、奥歯を噛んで呑み込んだ。「玄刃を呼べ。影に、保護のための捜索を命じる。殺すな。追い詰めるな」「まずは停止命令が届いたと、娘に知らせます」「ああ。……だが、必ず見つけ出せ」 眠りから覚めれば、もう一度あの声を聞けると思っていた。 龍翔は何もない掌を